「証言と映像でつづる原爆投下」
8/6(木)夜10時からNHK総合テレビで放送された「証言と映像でつづる原爆投下・全記録」を見た。言葉にならない腹の底から突き上げる怒りと衝撃を感じ、全身が震えた。どうして、なぜこのようなことが起きたのか。
原爆を投下したアメリカ国民の60%以上は、今もなお「あの戦争を終わらせるために、原爆投下は正しかった」と信じているという。ナチスやソ連の虐殺行為は、厳しく批判しながら、原爆投下による虐殺は正しかったとどうして言えるのか。
9日の長崎平和祈念式典では、長崎市長が「新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます。」と核兵器の脅威をコロナウイルスの脅威と対比し強調した。
核の脅威を広く世界に普及したいという市長の気持ちは分かる。それはそれで、世界に訴えるメッセージにはなるだろう。しかし脅威を広く普及するだけで本当に核はなくなるのか。尖閣諸島の現状、竹島の占領、北朝鮮の拉致等々、すでにいくつもの我が国に対する敵対行為がはびこり、核兵器は無数に世界に広がっている。すぐそばの中国、北朝鮮には、我が国に向けた核ミサイルがいつでも発射できるよう配備されているという。
コロナは、いまなお、筆舌に尽くしがたい苦悩と対策を国民に強いている。しかしながら、コロナは今後さらなる対策が講じられ、人類の敵ではない日、つまりいずれは無力化される日が来るであろう。一方、核兵器による被害の凄まじさは、広島、長崎が経験したとおりコロナの比ではない。核兵器をコロナ同様無力化するためならば、その何百倍、何千倍もの対策を講じなければならないのは、明らかである。
平和を祈り、核のおそろしさの認識を普及させるだけでは、脅威を解消することはできない。核保有国に一度核を使用したら、結果はどうなるのか、自分も同じ被害を被ること、つまり明確な反撃力を相手に認識させることが先ではなかろうか。つまるところは抑止力である。そのための対策について国民が歯に絹着せず語り会うことが、何よりも重要なことではないのか。
にもかかわらず、利権をあさる政治家、暴利を貪る財界人、自己の利益しか考えない役人・官僚等々はたして、国家百年の平和と安寧を考えている者が本当にいるのか甚だ疑問である。さらに反日左翼は「憲法9条さえあれば、他国は我が国に敵対する国はいない。憲法改正反対。」と国民に刷り込むことに躍起になっている。
先の戦争で国の繁栄、子孫の安全を願い、犠牲となって散っていった幾百万の英霊は、このような我が国を、そして世界をどう思っているだろうか。
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