耕して天に至る

「耕して天に至る。以て貧なるを知るべし。以て勤勉なるかな」 中国清朝の政治家李鴻章が日清戦争の戦後講和のため訪れた瀬戸内海の段々畑を見てこう言ったのだそうです。
長崎は、まさに「建築して天に至る」です。実にきわどい、見事な建築手法。斜面地の街、ナガサキです。玄関を入るとそこは2階、3階なんてざらで、ひどいときは、7階ですというところも・・・。平地の建設業者さんには、こういうノウハウは、まずないでしょうね。
たいてい斜面の下のほうから立ち上げた杭を支柱にして、張り出した床の上に建物が乗っかっています。幸い地震は少なく、過去に大きな災害はありませんが、火と水には弱い。火事になったら消防自動車は入れないし、水害は昭和57年の「長崎大水害」に象徴されるとおりで、今もしばしばがけ崩れ、土砂災害が発生しています。
しかしながら、すり鉢のような港町の宿命でこういう土地しか家を建てる場所がないわけで、「以って勤勉なるかな」です。こうして営々と築き上げてきたわが町に皆誇りを持っています。
江戸時代から唯一外国に向かって開かれた歴史とロマンの街、、「日本で始めて」が山のように残っている街「ナガサキ」。この街を何とかして活性化し、若者が定着できる街にするには、まだまだ勤勉と英知の積み重ねが必要です。